癒しの街ポカラ
~プロローグ~
混沌の国インドから、楽園の国ネパールへ
国境を越え訪れた先は、仏教の聖地ルンビニー
ブッダが生まれた場所である
日本寺に宿泊させてもらい、お経を読んだり様々な経験をした
そして、次の街は旅人がよく沈没してしまう、ポカラの街へ
(前記事:混沌のインドから、楽園の国ネパールへ ~ ブッダが生まれた場所,仏教の聖地ルンビニー ~
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ありがとうございます。次記事も頑張ります 。
涼しい空気の流れるポカラの朝が好きだ。
標高800mに位置しているために、とても空気が澄んでいる。
夜が明け始めると、この街を取り囲む、壮大な山々が目を覚ましたかのように
とてつもなく巨大な何かが呼吸をし始める。
静寂な街に響く小さな鳥の声、湖沿いが清々しくて気持ちがよい。
11月、ヒマラヤトレッキングのベストシーズンのこの時期は、長袖に1枚羽織ってちょうど良いぐらいだ。
爽快な朝空をゆっくり、淡いピンク色やオレンジ色に染めてゆく。
それを映した湖は、幻想的。
不思議と背筋が伸びるような美しさで、それは単に空気が澄んでいるだけではなく
すこに凄む山の厳格さを身体で感じ取っているのかもしれない。
それにしても、空気が美味しい。
やっぱりネパールでも、インド同様、あつあつのチャイから一日は始まる。
生姜とシナモンが効いていて、寝起きの身体を起こしてくれる。
トレッキングの拠点となるこの街からは、7000m級のヒマラヤ山脈に連なるが見える。
湖沿いでは、体をならすために音楽を聞きながら、いかにもアウトドアが好きそうな欧米人が走っている。
僕は、最初迷っていた。
チベットツアーに行くか、ヒマラヤトレッキングをするか。
値段的にも、時間的にも両方やるのは難しい。
しかし、ちょうど僕が泊まった日に、トレッキングから帰ってきた人がいて話を聞いたところ
「今この絶好シーズンに来て、トレッキングをしないなんて、
と言われてしまった。
なるほど、そんなことは絶対にあってはならない。
なんて素晴らしい例えで、素直なぼくなんだろうか。
そういうわけで、チベットツアーは諦めて早速登山のパートナー探しと、装備集めである。
ここネパールでは、トレッキング用品などが日本に比べると半分以下の値段で買える。
観光街より、街の中心から少し外れにある地元のマーケット古着市場みたいなところだともっと安く掘り出し物もある。
ブランドの安物は偽物が多いらしいが、クオリティー的にはさほど気にならない。
ネックウォーマー、長靴下、手袋など、ダウンジャケットなど、を購入した。
そう、ネパールは東南アジア最後の国で、ここから中東方面へ飛び、冬のヨーロッパを北上する
つもりだから、装備を揃えるにもちょうど良い場所なのだ。
ネパール人は本当に、穏やかで気さくな人が多い。
子供は少しシャイなところもあるけど、一度打ち解けると人懐こい。
綺麗な目だね。
旅のあとに、夢がある。それを本気で実現しようと思い出したのはこのころである。
東南アジア最後の国という、時の流れを意識させる場所だったからかもしれない。
インドの喧騒のあとの、ネパールという国の安らぎを感じたからかもしれない。
日本を出発して約5ヶ月ついにここまで来たか、と今までの旅を振り返るポイントでもあった。
そのささやかな夢は、自分の旅で撮影してきた写真で、「写真個展」を行うこと。(回想記のため、既に終えてますが。)
「旅する世界」 逸見秀幸 写真個展 当日の会場風景をまとめました。 | NO spice NO life.
実はこのころ、初歩知識でもあるISO感度の設定もろくにいじっていなかったほどである。
宿で出逢ったカメラ好きな人に、シャッタースピードに余裕があるならば、なるべくISOは下げて
撮影したほうが良いと聞いた。(低いほうが写真が鮮明で荒れにくい)
今まで、ほとんどの状況でISOは1600にしたままだったのだ。
僕は小さな画面のノートPCでしか自分の写真を見たことがなかったが、どうやら引き伸ばしたりすると
粗さが(ISOが高いほど)出てしまうらしい。
なるほど、トレッキングをする前に良い事を聞いた。
そうだ、俺は写真展をやるんだ。次の夢は写真展なんだ。
このころから焦りというか、本当にやるんだという気持ちになった気がする。
正直、絶景でさえ旅をスタートさせた東南アジアからいくつも見てきたものの、
あとで写真を見返してみると満足して撮れたものは少なく、写真展に飾れるものが無いと思うほどだった。
大学を卒業してそのまま旅に出ているが、旅のあとの進路はまだわからない。
だからこそ、自分で作った目標に向かわなければ、さらにこのまま迷子になってしまう気もしていた。
いや、迷子という感覚は大抵のときは無く前向きだが、ふとしたときにそう思ってしまうのである。
なぜだろう。
姿形の無い何かを必死に掴もうとしている自分が滑稽に見えることもあるし
それさえも出来ない自分はやはり哀れに見えてしまう。
でもなんとなくわかっている。
その目標に向かうべきだと。それに、その目標以外にやるべきことが見当たらなかった。
そしてこの1ヶ月後、ある事件をきっかけに、僕は絶対その目標を叶えると覚悟した。
幸か不幸か。
本当の旅は、これからだとは知る由もなかったのだ。
次回
(ポカラ、サランコットの丘)
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