Contents
日本一周と世界一周は、自分にとって一体なんだったのか——。
大学を卒業して、就職もせずに旅に出た2年間。
あれから5年の時が経ち、何が今に繋がっているのか。
その選択ををした自分に何を想うのか。
来週から20代最後に、中央アジアの旅(中国~トルコ陸路)をするのだがその前に振り返ってみたいと思った。
旅を様子を少し交えながら、思ったことをそのまま書く。1人の旅をした人間の体験談として見てもらえれば。
そもそものきっかけは、20歳の大学生の就活真っ最中のときに、
初海外一人旅でインドへ1カ月間飛び込んだことである。
なぜ行くことにしたかというと
過去にも未来にも、そして、当時の今にも、
「何も無い」と思った自分に嫌気がさして、違う世界を見てみたいと思ったから。
「何も無い」とは、やりたいことが無い。夢が無い。自分の意志が無い。
何だこの人生。もう嫌だ。である。
(世界一周時のインド再訪時の写真)
インド旅が全ての始まり。
未知すぎて半分死ぬんじゃないかぐらいの覚悟で、行った。
もちろん、インドの混沌とした世界は僕の人生観を変えた。よくある話だ。あんなカオス、変わらないはずがない。
今思えば、少し無茶をした。日本語以外サッパリ、電子機器は全く使わず、
小さなリュック1つで何一つわからないまま飛び込んだ。
(リュックさえ担げばバックパッカーというものだと思っていた。)
目を伏せるようなボロッボロの物乞いと毎日対峙し、毎日騙され人間不信になり、
ガンジス川の死体焼却場で死体が焼かれるのを眺め、
インド人に紛れ寝台列車で移動し、
大量の野犬に怯え、帰国できないんじゃないかと不安に駆られ、
何1つうまくいかず、1日1日生きるだけで精一杯で、
歩くだけで何もかもが新鮮で刺激的だった。
今までの「普通」は崩壊。もっと早く色んな世界を知りたかったと後悔する。
そして、帰国後。
自分の国を自分の足でもっと見てみたい、世界をもっと見てみたいと
旅欲が爆発し、大学卒業後に日本一周(自転車)と世界一周を決意。
就職してから旅に出るという選択肢もあったが、
また旅に出て価値観変わるんだったら先に変えたほうが良い、という考え。
自転車にしたのは、その当時、無理だと思ったから、やってみようと思った。
正直言うと、日本一周、世界一周という響きが良かったというのは、理由の大きな1つである。
目標のタイトル付け次第で、人の行動力は変わるらしい。
きっと刺激的なインドを選択していなければ、日本一周、世界一周をしようという発想も無かっただろうし
今も旅をしているとは思えない。
(後に知るが、初海外でインドへ行くという決断をする人間は、その後も旅にハマる人間が多い。)
あれ、これ細かいこと書いてたら終わんないやつだ。
まあいっか。ここまで読んでくれたら、最後まで読んでくれる・・・!
書きながら思ったけども、
きっとこういう選択をしてなかったら、何も書くストーリーさえ無くて
そんな人生が嫌だったんだろうなと思う。
自転車日本一周、1万kmの旅
1500円で買ったテントで、毎日公園で自炊しながら野宿。
今振り返って一番思うのは、色んな人にお世話になったなぁ、というのと峠道が死ぬほどきつかった。
知らない人に差し入れもらったり、泊めて頂いたり、路上で写真販売やってみたときには
上手でもない写真を買ってくれたり。感謝しかない。
トイレの水道水で作った、自炊そうめん。。若いってすごい。
自転車こぎながら、世界一周を見据えて英語の勉強する。。
テントの外から熊の足音聞こえて、死ぬかと思いながら朝まで焚火した場所。。
日本最北端。(実家埼玉⇒北海道⇒沖縄⇒埼玉)
毎日、とにかく自転車を漕いで、気がづけば1年もやっていて、1万km。
最初は必死だったが、2~3カ月この生活に慣れてきたときから感じていた。
これは、何も難しいことではなく。
ペダルを回してるだけの日々を繰り返すことに何の意味があるのだろうと。
ただ、後戻りも出来ないから、我武者羅に目標を達成するしかなかった。
自転車日本一周してから、5年経っておもうこと。
一言で言うと、自信に繋がっている。
原点回帰できる経験ともなっていて、正直に言うと、世界一周よりも達成感がある。
今思うと、意味がないとか、あるとか、関係なかった。
無理だと思ったことを、やった。という事実だけが今の自分を支える経験となっている。
色んな人にお世話になったことを思い出すと、今でもハッとする。
あんな見知らぬ小汚かった浮浪者に、、
そして、お世話になった方に自分の旅を形にして、共有したいと思ったのが、今の原点である。
風呂に入ってたり、ベッドで寝てると今もふと思い出す。
公園で頭洗ってた自分とか、雨防げる屋根見つけて寝られるだけで安心していたことを。
ほぼホームレスみたいなことを1年やっていたから、普通の生活が幸せだと感じられる(笑
当時は、旅が終わったら何の仕事すれば良いんだろう、とか不安ばかりだったが
今こう思えるから、やってよかったなと素直に思える。
しかし、自転車日本一周を達成したときに、嫌でも気付かされることがある。
旅をした者ならわかると思うが、旅というのは、特に難しいものでもなく誰にでもできることで
何か自分にできることが増えるわけでもない。
そして、世界一周の旅へ。
旅前に2カ月フィリピン語学留学してから、計1年で40か国を周る旅。
東南アジア、中東、ヨーロッパ、アフリカ、南米
ありふれた言葉だが、人・食・文化・景色、いろんな刺激と出逢いがあって楽しかった。
(世界一周時に撮影した写真)
1週間のヒマラヤトレッキングで、初めて風景を見て涙が出た。
(スリランカの成人の儀式)
(イスラエルのパレスチナ自治区、アパルトヘイトを目の当たりにする)
(アフリカ、ウガンダの離島)
アフリカに行くか、どうするか。世界一周で一番悩んだ選択。
(アフリカ モロッコのサハラ砂漠)
(南米アルゼンチン イグアスの滝)
(南米ペルー カニョンデルコルカ)
世界一周してから、5年経っておもうこと。
今に繋がっていることは
精神的な面で言えば、いろんな世界を見て、自分の環境がいかに恵まれているか
それを今も感じていることが、「貪欲」になっている。
例えば何か、やりたいことがあるが行動に移せず迷っているとき
冷静に考えると「やるべきだ」という考えに落ち着く。
なぜなら、大抵はやろうと思えばやれる環境にあるということを知ったから。
その1つが、次の旅だったりもするのだけど(笑
自分の目で見て、感じたことって、ちゃんと残っているらしい。
初海外のインド旅のときに「普通」というものは崩壊していたのだが
「普通」はただの幻想にすぎないということを世界一周をして、より一層確信に変わったというか。
具体的に今に繋がっていることで言えば、世界一周のときにド素人ながら写真展を目標にしてやったことから
カメラを使った仕事に就こうと決心して、普段日本にいるときはウェディング映像撮影の仕事をして
たまに旅をしながら映像撮影している。(映像出版等)
自然に繋がっている。というより、繋げている。の方がしっくりくる。
仮でも目標を作って、やる。と何かに繋がる。という成功体験が今も
とりあえずやってみよう精神に繋がっている。
まさか30歳手前になっても、まだ旅を続けてるとは思ってもみなかったけど
やっぱり過去を振り返っても、今思っても、本当に贅沢な遊びだなぁと思う。
有限かつ1回の人生の中で、いろんな世界、全く違う文化、地球の絶景を見て感動するのは贅沢に違いない。
それを知れたというのは自分の中で財産になっている。
こうツラツラ書いてみると、繋がっていると思えることってたくさんあるもんだな。
さて、良いことばっか書いてもつまらないから、旅をした代償も5年経った今思うことを書いておこう。
日本一周と世界一周の旅をした代償
日本一周、世界一周の旅のあと、鬱になった。
カメラを使う仕事をしようと思って、カメラアシスタント(写真)の仕事をしたのだが
どうにも面白いと思えなかった。旅のあの刺激のなかで撮影していたからこそ、楽しかったのかもしれない。
とは言え決めたことだからしばらく続けていたのだが、だんだん息苦しくなってくる。
好きだったものが、嫌いになっていく。ついには、勝手に涙が出て、蕁麻疹も出る。そして、辞めた。
それから、ずーっとベッドに寝転がって天井を見てたり、同じようなニュースを1日に何回もボーっと見て。
何食っても味がしない。無気力すぎて、溶けそうだったし、そのまま溶けた方が楽だと思っていた。
本気で、旅なんかするんじゃなかったと思った。
「普通」の選択をしていたほうが、良かった。
夢と掲げた日本一周、世界一周は、確かに楽しかったが、終わったあとは、これが現実かと思った。
周りに流されるのを拒んだあげく、結局後悔しているダサい人間だと蔑んでいたのを覚えている。
振り出しに戻った気分で、結局、旅で学んだと思ったことも全て空想だった。
そんな日々が続いて、このままだと腐ると思ったときに、
一か八か本当にやりたいと思ったことをやろうと。その答えが「また旅をしたい」である。
泥沼にハマるとは、このこと。まさに、現実逃避。また同じような事を繰り返そうとしている。
初海外のインドも含め、日本一周、世界一周の旅は、本当に刺激的だったから
どこかで、あの刺激を求めていた。簡単に言うと、旅中毒である。
まあ、初海外インドが断トツに刺激的だったかな。後にも先にもあれほどの刺激は無いかもしれない。
仕事をしてお金を貯めようと思ったときに、やっぱりカメラを触る仕事をやろう、と思った。
一度カメラでやると決めて、逃げた自分が後ろめたかったから。
求人を見ていると、ウェディング映像の求人を発見。思考を変えて写真ではなく、映像もいいかなぁと。
次の旅で映像も撮れたらいいな、という思いもあった。
やってみると、素直に楽しくて、気付けば3年ほど仕事も続いた。
そして、目標にしていた次の旅へ再び・・・
ある程度ウェディングの映像撮影・編集を学び、土台ができて
旅をしながら撮影していたら、いつの間にか映像出版にまで繋がった。
ある程度自分の興味ある仕事をして、金を貯めて旅に出て、旅でも撮影したことが繋がってきて
自分の方向性もなんとなんく、見えてくる。
結果的に、カメラ関係の仕事を続けて良かったし、本心で思った「また旅に出たい」
というのも遂行して良かったと思っている。
現実逃避と思った当初からは想像もしていなかった5年後の今。
長期旅を続けた一番の代償は、マグロになってしまったことである。
マグロのように、止まると死んでしまう。
止まると自己嫌悪の負のスパイラルにはまってしまうのである。
やりたいことはやるべきだ、という思考が旅をして強くなり
やらない自分に対して、やれる環境にいると知っているのに、やらない自分。
やらない理由がないのに、やらない自分、と自己嫌悪になる。
前の話で出たように、「また旅に出たい」とあのタイミングでその選択をしたのもその1つで
本心でやりたいと思ったことをやらない、それは罪だと思ってしまう。自己暗示が過ぎると雁字搦めになるらしい。
だから先の人生に、何か刺激を、やりたいことをちゃんと用意し続けておかないと、生きている心地がしない。
どうにもこうにも、この思考が離れないから、今はもう諦めている。
もちろん良い事のほうが多いのだが、ハマったときは本当に面倒くさいし嫌になる。
だから、これは病気である。不治の病だと思い、受け入れるようになってからだいぶ楽になったが。
他の旅人が旅後、同じように感じているかは知らないけども。
よく友人や、出会った人に「また旅に行くんだね」とか「すごいですね」と言われるのだが
「病気みたいなもんなんです」と冗談っぽく言うのだが、わりと本心である(笑
長々と振り返ってきたが
昔は我武者羅で見えなかったものが、時間が経つといろいろ見えてくるものがあるんだなぁと。
旅をする前と後、そして5年経って価値観や考え方も当然変わってきて、
違った視点から見えるようになったなぁと思う。
ここまでの経験が良かったかは、これから繋げるかどうかで変わってくるし
どっちの選択が本当に幸せだったかは、見当もつかないから旅に興味無い人に勧めたりはしないのだが
(初旅後ぐらいは調子に乗ってしてたけど笑)
僕個人に関しては、今は旅をして本当に良かったと思っている。
自分を含めて世界中それぞれ人の価値観は違うし、いつか必ず死ぬ運命のなか生きているから
無理に周りに合わせるんじゃなくて、自分だけの価値観で感じたものを大切にしてよかったなと。
旅をする選択をしたこと、色んな景色が変わる中で考えたこと、後悔したことさえも、
今は経験として活きている。
あのとき、世間体に流されずに、よくやったぞと。自分を褒めてあげたい。
また5年後、10年後、やってよかったと思えるように、次に繋げていきたいなと思う。
こんなに長くつもりはなかったのだが、、旅直前に書いているから興奮しているのかもしれない・・・
まとまりの無い文章を綴りましたが、ここまで読んで頂いてありがとうございます!
さてー、中央アジア行ってきまーす。
コメント