デモで黒マスクを被った少年に遭遇。
マスクの隙間から見える表情には彼の憎しみの念が滲み出ているように感じた。
スポンサーリンク
前記事:パレスチナ自治区 ヘブロンの日常
旅の最新記事、ハイライトはこちら
人気記事・おすすめ記事はこちら
▼ 最新記事の更新をお知らせする
パレスチナ自治区のベツレヘムの街を巡ってみた。
スタバのパクリ。
やはり街を歩く限りは、特に変わったところはないのだが、この街を囲った
巨大な分離壁の姿は異様である。
パレスチナ自治区を囲む分離壁(アパルトヘイト)
この高い壁の中で、パレスチナ人は生活している。
鳥籠と呼ばれる所以である。
街を歩いていると、小さなデモ活動に出くわした。
声を上げながら、パレスチナ国旗を抱え行進している。
イスラエル兵士たちは、暴動が起きないよう監視している。
1人の少年がとても印象的だった。
黒いマスクを被り、イスラエル兵に対して明らかに敵対心を持ち威嚇している。
僕たちは呆然と見ていたが、どっからか石が飛んできて
イスラエル兵は笑顔で「お前ら危ないからそこに隠れてろ」と誘導された。
小さな子供が多く、大人たちは冷静に抗議活動していたように見える。
黒マスクの少年は憎悪を抱えているような表情をしていた。
きっと、これだけ多くのパレスチナ人がいるのだから
強烈な憎しみを持ったものもいるであろう。
土地を奪われ、親、子供、友人を殺された人々は一生相手を恨むのが当然であろうし
反逆者が生まれるのも当たり前と言えば、そうなのかもしれない。
それを抑制するために、この非人道的な壁は存在しているのであろう。
仮にこの分離壁が、無かったらどうなっていのだろう。
より多くの犠牲者が出たのだろうか。
それでも、自由を奪還するために、戦っていただろうか。
ただ、この壁が人間が生み出した負の遺産であることには間違いない。
ベツレヘムには、イエス・キリストが生まれたとされる聖地の一つである生誕教会がある
たくさんの信仰者がいて、無信仰の僕には圧倒される景色である。
海外からも多くの信仰者が、この生誕教会を訪れていた。
夕刻も近づき、暗くなるまでにはこのパレスチナ自治区を出て
イスラエル、エルサレムの宿に戻った。
【他のパレスチナ自治区の記事】
パレスチナ自治区 ~ 悲しき分離壁に無数に描かれたアートたち(心の叫び) ~
次回
『 パレスチナ自治区 ~ 負の遺産,悲しき分離壁 ~ 』
コメント