ヒマラヤトレッキング
~プロローグ~
トレッキングをスタートして3日目
ヒマラヤの景色に感動しながら1歩1歩ずつ進む
迫真なる雪山の姿に、大自然の強さを感じ
自分が果てしなく小さな存在にも思えてくる
この日、感動と孤独を超えた涙の景色と巡り合ったのだ
(前記事:【前編】 感動のヒマラヤトレッキング ~ 神聖なる領域 ~ )
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清涼感たっぷりの空気、小鳥たちも朝の訪れに元気よく、ヒマラヤ風景を飛び回る。
今日も朝早くに起きて、ヒマラヤ街道を登ってゆく。
目標地点(アンナプルナベースキャンプ)に一番近い村、マチャプチャレベースキャンプ(およそ3700m)まで。
現在地は3000mほど。今日はなかなかハードになりそうだ。
もはや、無の境地で、ひたすら登っている。
何のために、1週間もかけて山に登っているのかなんて理由は無い。
壮大な自然景色に達成感がプラス(カケル)されれば、最高の感動が生まれる
それを知っている体が、その感動に吸い寄せられるように突き動かされるのだ。
こんな感じで、宿やレストランがトレッキング道の途中に点在している。
最近思うのだ。
旅は人間の本能なんじゃないかと。
感動を求めて、人は旅に出るんじゃないかと。
そうやって思うことで自分が旅に出たことを肯定しようとしているのかもしれないが。
浅はかな理由は作るが、実際のところ旅に出る理由なんて無い。
旅人にはわかる感性かもしれない。
まるで磁石のように、感動と人間が引き寄せられている気がするのだ。
感動と巡り合った瞬間に、偶然ではなく、必然なのかもしれないと感じてしまうのだ。
面白いもので、人間は感動をすると、前を向く不思議な生き物。
必然だと思ってしまった矢先には、今までのことも含めて受け入れる前向きさが宿る。
感動の無かった人生さえも、1つの感動によって糧にできてしまうほどに。
そして、旅で味わった “これらの感動” はさらに強い磁力を持って感動を求めてしまうのである。
もっと感動を味わいたいという欲が湧き出てくるのだ。
それは旅を続けるためのガソリンでもあるし、旅以外の原動力でもある。
それをこじらせてしまう人もいる
人を突き動かす、自分を突き動かした感動。
でも肝心のことが、僕にはわからない。
‟ 感動 “って一体なんなんだろう――。
声も出ない、とんでもない圧巻の景色を歩き続ける。
ヒマラヤの神聖な領域に近づいてきた。
山の天気は変わりやすく、午後からは霧雨状態で視界も悪くなった。
せっかくの景色が台無しだが、前に進むしかない。帰り道にゆっくり眺めるとしよう。
びしょ濡れになってマチャプチャレベースキャンプに辿り着き、すぐに着替えて震えながら布団をかぶった。
明日の朝は、AM3時に起きて目標地点のABCで朝陽を見る。
晴れることを願いながら、目をつむっていたが、あまりの寒さにほとんど眠ることができなかった。
朝3時、バックパックを背負って、暗闇をライトで照らしながら極寒の外に出た。
星が見える。どうやら晴れているようだ。
雪の上を一歩ずつ進んでいくが、薄い酸素に呼吸がすぐに荒くなって立ち止まってしまう。
手は凍え、鼻水は垂れ、雪が少し解けている道の足跡をペンライトで照らしながら歩いた。
雪を踏む自分の足音しか聞こえない静寂の世界。
すぐ目の前も見えないほど真っ暗で、自分がここにいるのが不思議に思える景色だった。
黒い山影に囲まれていた目の前の景色がぱっと開けたとき、
僕は味わったことのない感覚になった。
こんな景色がこの世にあるのかと。
感動しすぎて、このまま死んでも良いと思った。
恐怖さえ感じるほどの、自分を取り囲む7000m級の真っ黒な鋭い山影
澄んだ夜空には、無数の星屑、まさに満天の星空
僕はただ1人、この未知の感動の世界に立ち竦んだ。
「小さいなあ。。」
景色の神秘さよりも、自分の存在の小ささに心が震えた。
寒さに握りこぶしを作っていた両手も、いつの間にか力が抜けていた。
全身に鳥肌が立ち、呆然としていると涙が溢れてくる。
なぜだか、こんな景色の中、たった1人泣いている自分が嬉しい。
こんな贅沢な感動を味わえる自分がとても幸せで貴重な存在に思えた。
地球に生きる人間のなかで、こんな素晴らしい景色に、感動を噛みしめることができる人間が
一体どのくらいいるのだろうか。
こんな二度と出逢えないような景色なのに、
だめだ、手が凍えて三脚がうまく立てられない。僕はバッグパックをおろしてその上にカメラを乗せた。
朝陽も待っているし、写真に時間をかけている場合では無い。
カメラを上に向けてシャッタースピード30秒で2回だけシャッターを切った。
うっかり、死んでも良いと思ってしまうほどの景色は、もう人生の中で無いかもしれない。
あの瞬間は感動を超えた、何かだった。
景色のせいだけではない。
“今、生きている”
それが、全身を伝っていた。
それを感じたとき、旅を出る前の自分が 突然フラッシュバックしたのだ。
過去も、今も、未来にも、自分の人生には何も無いんじゃないかと思えたあのときの自分。
だけれども、今は自分の夢を叶えていて、冒険と思えるような旅をしていて、今を生きていて、
感動して、泣いている。
これで、良かったんだ――。
もう少し、もう少し。
絶景の中、僕はまた歩き出した。
まだまだ、ヒマラヤの絶景が待っていた――。
次回