見つめる生死、燃えゆく遺書 ~聖なるガンジス川のほとりで~


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2度目のバラナシは、相も変わらずのカオス。

なのに、妙に落ち着くのはなぜだろう。

「宗教ってなんだ?」

聖なるガンジス河の光景は、そう思わずにはいられない。

それにしても、これほど飽きさせない街はなかなか無いかも。

 

(前記事 ⇒ 混沌の世界で ~THE INDIA 聖なるガンジス河~)

 

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インドへ行くと価値観が変わる、とよく言われている

宗教、景色、人間、文化、全てが日本とは大きく異なるインド

その中でも、ぼくの価値観を想像以上に変えた場所がある。

 

 

それは、聖なるガンジス河の河岸で行われている 「火葬場」 である

絶対的な「死」 というものを、いつか存在が無くなるという事実を、目の当たりにしたのだ。

ぼくだけではない。ここを通る旅人たちは、「死」 を見つめるのだ。

 

 

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(左下、火が出ている場所が火葬場。火葬場内での撮影は厳しく禁止されている)

 

 

火葬場とは、字のごとく、死体を火葬する場所だ。

燃え残った遺骨はそのままガンジス河へ放り投げられる。

一昔前まで幼児や妊婦の死体は、生身に重しをくくりつけて河の底へ沈めていたという

 

 

死体には布が覆われていて、一度ガンジス河の水につけてから

組まれてある太い乾燥木に置かれる

その布は、いかにも派手で豪華な飾りや布を巻いてあるもの

質素な布だけ巻いてあるもの

それは、一目瞭然で死人の裕福さを象徴している

 

 

いくつもの組み木に、雑に投げられた人間たちはまるで人形のよう

火がつけられると、みるみる炎はあがりパチパチと音を立てて燃えてゆく

覆いかぶされた布は燃え、顔や体もはっきりわかってしまう

「人」 というよりは 「物」 に見えるが、焼かれて異形変形していく姿を見ると

心臓の鼓動が、静かに早くなってゆく

 

 

「自分も、こんなんになっちまうのか」

 

 

恐怖ではない。信じられぬ景色でもない。これが、現実だ。

ただ、その姿を見つめていると、なんとなく目をそらしてはいけない気がしてくる。

この聖なる地では、不思議とスーッと内側にその光景が入ってくるのだ。

 

 

ジュージュー、ジュワ、ジュワ

 

 

5m先で、まるでカルビを焼いているかのような音で燃えている

「人間って、脂すごいな」

冷静にそう思ったと同時に、自分と同じ人間が燃える姿をずっと眺めているのも可笑しいな、と思った。

それでも脳裏に焼き付けようと、汗をかきながらじっと眺めていた。

灰が目にしみて、焼けた匂いで鼻がツーンとする。

遺族らしき人たちも、無表情で見ている。

一体彼らは、「死」 というものをどう捉えているんだろうか。

 

 

組まれた木からはみでた頭や足が、竹棒で突かれるだけで折れてゆく

次第に、木か人体なのかわからなくなるくらい、真っ黒になってしまった。

ついには、死んだ人間は、ただの灰になった――。

 

 

人間というものは、儚くもなんて脆いんだろう。

なんとも言えない感情、虚無感でもなく、あるいは放心状態だったかもしれない。

 

 

「そっか、そうだよな。」

 

 

自分もこうなるんだな。

そいうった半ば強引に納得させられたような、受け入れるしかない光景だった。

 

 

大きな遺骨は河に放り投げられ、木と死体がふたたび運ばれている。

最初から、最後まで気付けば2、3時間ほどずっと見ていた。

気付けば、滞在中毎日、火葬場へ通っていた。

 

 

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こんなにも、ストレートに死を見つめた場所は他に無い

「死」 を考えたことはある。

いつか死ぬ、そう考えてからもっといろんな世界を見たいと思い、旅にでた。

旅にでるときは、もしかしたら死ぬかもしれない、そんなことも思った。

遺書も書いた。

大げさにも万が一、は拭いきれなかったのだ。それ以上に、絶対生きて帰るという自分への覚悟でもあった。

 

 

だが、ここはそれとは違った 「死」 のリアルさに満ちている。

 

 

そんなことをぼんやり思っていると、ここでふたたび遺書を書くのもいいな、という気がしてきた。

日本を出て、もうすぐ5ヶ月。

自分は今、何を思っているのだろう。本心を引き出すには遺書が手っ取り早い。

そしてこの生死と向き合うカオスなシチュエーションで、自分は今、何を感じているのだろう。

 

 

運ばれてきた死体を、自分に投影する。

あと2時間ほどで、ぼくはこの世から一切消えてなくなる。

そう思い込むことにした。

つまり、遺書を書く制限時間は、死体が灰になるまでだ。

 

 

切り取ったメモ張に、自分が今感じていること、自分に言いたいことを綴っていった。

 

 

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死を見つめる。それは、生を見つめること。

 

 

矢のように過ぎていく日常の生活で、それを見つめる機会はなかなか無い。

自分自身がまさにそうであったし、それを真面目に考えるきっかけもなかった。

緊張感も無く、周囲に流されながらも不自由無く生きていける環境ではなおさら。

それが別に悪いことではないし、それはもしかしたら「幸せ」なことなのかもしれない。

過去を振り返ったとき、「死」 を考え、 これからの「生」 を考えたとき、

輪廻など無く、一回きりの「人生」だと考えたとき、

そして、それは他人話ではなく、自分自身なんだと受け入れたとき

本心が見えてくるものかもしれない。

 

 

 

いつか死ぬ。「今」、その限られた時間の中で生きている。

そしてその時間は、決して長いものではないという事実。

 

 

 

じゃあ、その中でどう生きたいんだろうか。

何がしたいんだろうか。

僕は、結局何がしたいんだろう。

旅のあと、何がしたいんだろう。

 

 

実際のところは、わからない――。

 

 

いや、わからなくていいのかもしれない。今はわからなくたって。

本当はわかっているのかもしれない。自信が無いだけで。

探し始めたばっかりなのに、そんなすぐ見つかるわけもない。焦って探して見つかるものでもない。

自信だって簡単に身につくものでもない。

だからこそ今、いろんな世界を自分の目で見て、何かを感じようと、ここにいる。

むしろ、そんな簡単に見つかってしまっては失望してしまう。

すぐに見つかってたまるか!という謎のMっ気もある。

 

 

もうすぐ、死体だったものが、灰になる。

もし、もうじき死ぬとして人生を振り返るならば

なんだかんだ、まあまあの人生だった、というのが本心かもしれない。

そんな気がする。

家族もいる。友もいる。飯に困ることさえ無い環境で育つこともできた。

お金を稼いで、こうやってやりたかったこともできている。

充分、恵まれていた。充分すぎるほどに。

 

 

 

また1人、跡形もなく灰へと変わっていった。

 

 

 

いや、

やはりこの人生には、まだ足りないものがある。

 

 

 

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僕は、書き終えた遺書をライターの火で燃やした。

ある思いを自分の胸の内に誓いながら。

 

 

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俺は、 もっと生きるんだ。

 

 

自分でもよくわかってはいない。

だけど、もっと貪欲に生きたい、そう思った。

此処には、人間に計り知れない化学変化をもたらす何かがある。

灰は、風に揺られながら

聖なるガンジス河へと散っていった。

 

 

 

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次回

『 聖なる河に昇りゆく、神妙な朝日 ~ インド・バラナシ ~ 』

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