[ ~プロローグ~ ]
東南アジアのネパールから、中東のイランへ。
中東のイメージをぶち壊した最も楽しい国となったが
首都テヘランにて、iphone,一眼レフ,PCを全て盗難されてしまった
電子機器は全消滅。旅は、大転換期
実はその前日、不吉な兆しを感じていたのだ
(前記事:それでも、イランが大好きだ。 盗難事件により、電子機器全消滅の巻)
人間は、1日におよそ10万人以上死んでいるらしい。
だが、その死の瞬間を目にするのは一生に一回あるか無いかぐらいではないだろうかと思う。
無論、その瞬間に出くわしたいなど1ミリも思わないが。
それは、イラン中部のカーシャーンという街から1時間半ほどのアブヤーネ村から、帰る途中のことだった。
アブヤーネ村は、赤土で出来た家々が谷の斜面に階段状に造られている小さく素朴な村。
女性が着ている花の刺繍のついた民族衣裳がとても綺麗で、秋の暮れ、紅葉も美しかった。
そこへは、タクシーをチャーターしないと行けないかなりマイナーな場所である。
帰り道、荒野が地平線まで続く一本道でなにやら数台車が止まっていた。
どうやら、この何もない荒涼とした道路で交通事故が起きたらしい。
タクシーのドライバーも状況が気になるらしく、道脇に車を止めて僕たちも現場に向かった。
車が1台逆さまに引っ繰り返り、タイヤが1つぶっ飛んでいる。
車内はCDやバッグが無造作に飛び散っていた。
荷台から林檎などのフルーツが散乱しているのがやけに日常感があって嫌な感じがした。
人だかりを覗いてみると、黒服で全身を覆う女性の鼻から大量の赤い血が流れている。
黒色の布で、血か定かではないが、お腹のあたりが濡れていた。
近くには、もう1人男性が昏睡状態で倒れている。
よくあたりを見てみると、どうやら5人家族での単独事故らしい。
悲痛の表情で、必死に天を仰ぎ祈る15歳ぐらいの兄
小学生ほどの2人姉妹は、ひたすら泣き喚いていて保護されていた。
そのうち1人は、右腕が動かないようで痛そうだ。
やがて救急車が来ると、一番重症そうであった母親に駆け寄る2人の医師。
すぐさま心肺蘇生が行われたが、3分ほど続けると、医師は首を横に振り、顔に黒い布を被せた。
その瞬間、目の前の女性が、死んだのだとわかった。
悲惨な現場に、何も言葉が出ない。
母親は死に、父親は重症、3人の子供達は一体これからどうするんだろうか。
何もできない自分であったが、彼らを思うと胸が苦しかった。
ただのメンテナンス不足だろうか。
タイヤが1つぶっ飛んで、命が終わってしまったという事実があまりにも空しい。
救急車に運ばれた彼らを見送って、車内に戻るとドライバーは無言で発車した。
沈黙したまま、ただ呆然と荒野を眺めていると、突然悪夢を見たように恐怖を感じた。
僕は、あまりにリアルな人の 「死の瞬間」 というものを、見てしまったのだ。
ガンジス河で見つめた 「死」 とも違う。 旅に出る前に少々覚悟した 「死」 とも違う。
血の流れた悲痛な現場、残された者たちの悲しみ
それに、交通事故というのが、旅先での僕にはあまりにリアルだったのだ。
自分自身にも十分ありえる事故だ。
自分も含め、命の脆さに非常に嫌な妄想を駆り立てられてしまう。
「もし、旅中に交通事故に遭ってしまったら・・・。もし、旅先で死んでしまったら・・・。」
そんなどうしようもない事を考えていると、心配している家族に申し訳ない気持ちになり
このイランという全く見ず知らずの地に飛び込んだ自分が、急に無茶なことをしているように思えてきた。
人生が一回でいずれ死ぬならばと、世界中を旅しこの眼で見たいと思い立ったが、死ぬのは全く本望ではない。
偉大なる登山家の植村直巳が 「山で死んではならない」 ことが鉄則だと言っていたように
決して、「旅で死んではならない」 のだ。
23歳、無職独身、1人でイラン旅行中に交通事故で死亡。
もしそうなれば世間からは「バカだな~」、とYahooニュースのコメント欄に書かれるであろう。
しかし、リアルな事を言えば 「 何が起きるかわからないのが旅 」 であり
「 何が起きるかわからないのが人生 」 というのも鉄則である。
実際、植村直巳は山で死んでしまった。
それでも、「 旅で死んではならない 」 というのは僕の鉄則だ。
なぜ、そこまでして旅をしているのだろうかと思うかもしれないが
「 そこに山があるから 」 と同じようなものである。
と言っても、昔は僕自身もその気持ちを理解できない正統派であったから、
「 こいつ何言ってんだ 」 感はわかる。
とにかく、自分の人生が限りある儚い命だと思ったときに、芽吹いたしまった強い旅欲は抑えられないものなのだ。
少し話がずれたが
そういえばこの感覚は、初めての海外でインドに行ったときにも感じたことがある。
それもまた、タクシーの中で地平線まで広がる荒野を見ているときだった。
確か、綺麗な夕陽が地に沈んで、空が薄暗くなってくるころに急に怖くなったのだ。
僕は本当に、日本に帰ることができるのだろうかと。生きて帰らなければならないと。
旅人にはそんな孤独の瞬間を感じるときが誰にでもあるのではないかと思う。
そして、その孤独を乗り越えた人には、独特の強さを秘めているようにも思える。
とにかく、嫌な瞬間を見てしまったものだ。
食欲も失せ、1人宿に戻るとそのままベッドに入って、今日見てしまった死人の顔を忘れたいがためにすぐ寝ることにした。
孤独に、そっと生きて帰ろうと覚悟しながらも、何か嫌なことがおきる前兆のような気がしていた。
その嫌なイメージが引きつけたのだろうか、それとも運命だったのだろうか――。
仕組まれていたかのように、次の日、盗難事件に遭い僕の旅は大きく変わってしまった。
それでも、イランが大好きだ。 盗難事件により、電子機器全消滅の巻
旅先で何を盗まれようとも、「旅で死んではならない」 のだと、この事故で思い返したのである。
事件のあと、イランの西側、トルコへ夜行バスで入国し、黒海に面した素朴な港街「トラブゾン」 に向かった。
そして、この何もない街で、「沈没」 した。
次回
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